■プロフィール 桑原 一樹(くわばら かずき) 【生年月日】昭和51年2月8日 長野県飯田市生まれ 【経歴】パソコンインストラクター、会社員(総務部勤務) 【趣味】戸山流居合道練士6段
~肩こりと首の痛みに悩まされた時代~ 子供の頃から、肩こり・首の痛み、偏頭痛に悩まされていて、小学校3年生くらいから接骨院に定期的に通っていました。 私は特に肩こりがひどく、たまに寝違えがあって首が動かせなくなり、度々接骨院にお世話になるほどでした。 大学生になった頃、あるとき急に首が痛くて動かなくなってしまいました。 不安になった私は整形外科に行き検査を受けましたが、先生に「異常なし」と言われて痛みの原因が分からないまま帰宅の途につくことに。
その後大学を卒業し、一般企業に就職しました。 就職先では、パソコンインストラクターという仕事を任されていました。 仕事を始めると、もともとの肩こり・頭痛に加え、眼精疲労にも悩まされるようになりました。 痛みを少しでも和らげるために接骨院で治療してもらいましたが、本当に楽になった感覚がせず、治っては再発してを繰り返し、年に1回ほど首が痛くなってしまいました。 痛みがひどいときはマッサージや鍼にも行きました。2~3回治療をしてもらったら治ったのですが、「また再発するのでは・・・」との思いから、根本的な満足感が得られませんでした。 体の痛みに悩まされながらの生活は、30歳くらいまで続きました。
~整体への関心~ もともと母親が肩こり持ちで、よく肩もみをしていました。 整体という仕事については、自分も肩こり持ちだったため、また、親孝行にもなるという思いもあって興味を持っていましたが、整体師になってみたいと思ってもきっかけがつかめずにいました。
転機は30歳くらいのころでした。 友人が関市で整体院を開業し、「すごく良い仕事だ!」としきりに勧めるようになったのです。 当時は会社員として働いていたので悩みましたが、性格的に会社員が合っていなかったこと、友人がうらやましかったこと、両親が後押ししてくれたこともあり、脱サラしてこの道へ入ることになりました。
~師匠との出会い~ 整体師になることを決めた私は、整体の学校へ通うため、パンフレットを取り寄せたり学校見学に行ったりしていました。 どこも今ひとつ決め手に欠けるなぁ・・・と悩んでいたときに、本巣の整体スクール「島山整体塾」のホームページを見つけました。 気になってさっそく申し込んで見学に行ってみたところ、気さくでとてもいい先生が出てこられ、ひととおり説明を聞いたあとで整体の施術を実際に受けてみたところ、今までにないくらい体がスッキリ楽になったんです!! 「これだったら!!」と実感した私は、すぐに入学を決めました。 その後は、会社員を続けながら半年間通学し、毎晩両親にモデルになってもらい欠かさず練習を行いました。
~師匠の許可から開業まで~ 仕事をしながら通学を続けていたある日、師匠から開業の許可が出ました。 2007年(平成19年) 9月に勤めていた会社を退職し、開業までの間、親の友人などに非公式で施術を行い、営業活動をしながら物件を探しました。 その後、いい物件にめぐり会い、2008年(平成20年) 2月に「整体 樹(せいたい たつき)」開業の運びとなりました。 開業するまではとても不安でしたが、実際にやってみたら2~3カ月目から集客率が上がり、やればよくなる!という自信が付いていったことを覚えています。
~動体療法との出会いから現在~ あるとき、島山整体塾で一緒に勉強していた人から、「動体療法」を紹介されました。 その時ちょうど足が痛かったため、実際に施術をしてもらったところ、痛みが消えて感動し、動体療法について学ぼう!と決意。その他にも、骨盤矯正などいろいろな技術を学び、現在に至ります。 今でも月に1回は大阪へ勉強に行き、技術の研鑽に努めています。 2012年(平成24年) 5月、「整体 樹(せいたい たつき)」を現在の場所に移転。 開業8年目を迎えます。
一覧に戻る
〒502-0929岐阜県岐阜市則武東3-5-4
■プロフィール
桑原 一樹(くわばら かずき)
【生年月日】昭和51年2月8日 長野県飯田市生まれ
【経歴】パソコンインストラクター、会社員(総務部勤務)
【趣味】戸山流居合道練士6段
~肩こりと首の痛みに悩まされた時代~
子供の頃から、肩こり・首の痛み、偏頭痛に悩まされていて、小学校3年生くらいから接骨院に定期的に通っていました。
私は特に肩こりがひどく、たまに寝違えがあって首が動かせなくなり、度々接骨院にお世話になるほどでした。
大学生になった頃、あるとき急に首が痛くて動かなくなってしまいました。
不安になった私は整形外科に行き検査を受けましたが、先生に「異常なし」と言われて痛みの原因が分からないまま帰宅の途につくことに。
その後大学を卒業し、一般企業に就職しました。
就職先では、パソコンインストラクターという仕事を任されていました。
仕事を始めると、もともとの肩こり・頭痛に加え、眼精疲労にも悩まされるようになりました。
痛みを少しでも和らげるために接骨院で治療してもらいましたが、本当に楽になった感覚がせず、治っては再発してを繰り返し、年に1回ほど首が痛くなってしまいました。
痛みがひどいときはマッサージや鍼にも行きました。2~3回治療をしてもらったら治ったのですが、「また再発するのでは・・・」との思いから、根本的な満足感が得られませんでした。
体の痛みに悩まされながらの生活は、30歳くらいまで続きました。
~整体への関心~
もともと母親が肩こり持ちで、よく肩もみをしていました。
整体という仕事については、自分も肩こり持ちだったため、また、親孝行にもなるという思いもあって興味を持っていましたが、整体師になってみたいと思ってもきっかけがつかめずにいました。
転機は30歳くらいのころでした。
友人が関市で整体院を開業し、「すごく良い仕事だ!」としきりに勧めるようになったのです。
当時は会社員として働いていたので悩みましたが、性格的に会社員が合っていなかったこと、友人がうらやましかったこと、両親が後押ししてくれたこともあり、脱サラしてこの道へ入ることになりました。
~師匠との出会い~
整体師になることを決めた私は、整体の学校へ通うため、パンフレットを取り寄せたり学校見学に行ったりしていました。
どこも今ひとつ決め手に欠けるなぁ・・・と悩んでいたときに、本巣の整体スクール「島山整体塾」のホームページを見つけました。
気になってさっそく申し込んで見学に行ってみたところ、気さくでとてもいい先生が出てこられ、ひととおり説明を聞いたあとで整体の施術を実際に受けてみたところ、今までにないくらい体がスッキリ楽になったんです!!
「これだったら!!」と実感した私は、すぐに入学を決めました。
その後は、会社員を続けながら半年間通学し、毎晩両親にモデルになってもらい欠かさず練習を行いました。
~師匠の許可から開業まで~
仕事をしながら通学を続けていたある日、師匠から開業の許可が出ました。
2007年(平成19年) 9月に勤めていた会社を退職し、開業までの間、親の友人などに非公式で施術を行い、営業活動をしながら物件を探しました。
その後、いい物件にめぐり会い、2008年(平成20年) 2月に「整体 樹(せいたい たつき)」開業の運びとなりました。
開業するまではとても不安でしたが、実際にやってみたら2~3カ月目から集客率が上がり、やればよくなる!という自信が付いていったことを覚えています。
~動体療法との出会いから現在~
あるとき、島山整体塾で一緒に勉強していた人から、「動体療法」を紹介されました。
その時ちょうど足が痛かったため、実際に施術をしてもらったところ、痛みが消えて感動し、動体療法について学ぼう!と決意。その他にも、骨盤矯正などいろいろな技術を学び、現在に至ります。
今でも月に1回は大阪へ勉強に行き、技術の研鑽に努めています。
2012年(平成24年) 5月、「整体 樹(せいたい たつき)」を現在の場所に移転。
開業8年目を迎えます。